小幡道子 (1920年7月4日―2010年5月15日 享年89歳)の前半生
福岡県築上郡築上町宇留津に小幡醫院の長女として生まれる。父・吉郎は道子14歳の時に脳卒中で死去、以後母・アキは遺された3男3女を一人で育て、自分は自給自足しながらも、男は医大と外語大に通わせ、女はそれなりのところに嫁がせるほど気丈な人だった。(あき1973年8月下顎悪性腫瘍にて東京の長男宅で死去。)
国立国会図書館に保管されていた小倉高等女学校の歌集に道子の短歌を見つけた。(検索by健一郎)父親の死に直面した少女の心がよく表れている
六甲山でのお見合いを経て1942年3月札幌の佐藤美代吉(大分県中津市出身)と結婚。九州から北海道という環境の激変に健康優良児だった体も悲鳴をあげ、1年目は全身関節炎で苦しんだという。
1945年11月長男・浩一、1948年8月次男・貞二、1950年9月長女・秀子出産。北海道拓殖銀行員の妻として美代吉を支えた。
はじめに
見出しの写真は、1973年6月2日の荒井徹・秀子の結婚式の時に撮影された父・佐藤美代吉と母・道子の写真です。撮影当時、父は59歳、母は52歳でした。父・佐藤美代吉は75歳で亡くなり、母・道子は89歳で亡くなりました
以下は、結婚前に持っていた写真と結婚後に、母・道子と撮った写真を纏めたものです


1.1973年6月2日・荒井徹・秀子の結婚式の写真;
当時美代吉父は慢性腎炎を悪化させ慈恵第三病院に入院中。医師団がベストな状態で結婚式に臨めるよう体調管理をしてくださったが、浮腫んだ顔から健康良好状態でないことは一眼で判るでしょう。当時は透析のベッド数が足りず、まだ腹膜環流という処置をしていたと記憶しています

2.1975年孫と一緒;
下の写真左は清香(1975年5月21日生)、右は光浩君(1974年12月24日生)小金井のリビングで

3.1976年;
清香1才、3月初節句。両家の祖父母が笑顔で揃うのは孫の力なり
透析ができるようになり、力を得た美代吉父と一緒に懐かしき札幌へ。道子母はこの当時、週4回の病院通いに付き添いながら書の勉強を続けていました

4.1977年;
父・荒井忠作の七回忌、宗禅寺にて実施。7月には成浩君誕生(1977年8月30日)、小金井神社で初宮参り。この年10月に健一郎誕生(1977年10月11日)。続いて怜志(1979年1月12日)麻衣さん、義朗君と続き、七人の孫の祖父母となります

5.1984年_創玄展グランプリ受賞;
永年に亘り勉強を続けてきた書道でついに栄冠。創玄展かな部門でグランプリを受賞。書評「筆の弾力をよく生かしながらリズムに乗って無理なく呼吸を整え、温かい調子は人柄の表れであろうか」。夫の看病をしながらのグランプリ獲得は生優しい努力では達成できなかった事と頭の下がる思い。若い頃から箏、生花(池坊)、茶道(表千家)、人形作り、フォークダンス、話し方教室、料理(魚菜学園)、草笛、俳画、、、思い出すだけでも数多くの習い事をやっていた勉強家でした。最終的には書道が生涯をかけた道となり、教室を開くまでになりました


6.1989年3月_カリフォルニア旅行;
1988年10月4日、46年連れ添ってきた夫・美代吉との永遠の別れにより、15年間続いた看病も終わりを遂げました。長い間海外旅行にも連れて行ってあげられなかったので、まずは米国カリフォルニアのリンダ・ホイランド家訪問。リンダは高校時代の夏休みにホームステイを受け入れた女性で20年ぶりの再会。両親もまだ健在でした。道子母68才

7.1990年_福岡旅行;
健一郎(中1)怜志(小6)夏休みに祖母の故郷、福岡・大分旅行。みっともない格好で帰郷するわけにはいかないと、おしゃれをしていた道子さん。写真は中津で手広く海老の卸を営んでいた松本水産の里子さん(道子の従姉妹)を訪問した時のものこの後、毎年のように海外も含め旅行に行くようになります。1992年、健一郎・怜志と初めてのヨーロッパ旅行(パリ・ベルリン・デュッセルドルフ・フランクフルト)。出発前日にえのき茸が原因の中毒を起こし、点滴をしていると電話が来た時には、キャンセルかと焦ったがご本人が強く大丈夫行く!というので、ヒヤヒヤ出発。機内でどうかなったらどうしようと心配していたが、持ち前の健康体力で旅行中何もなく、楽しい旅を遂行。強い日差しのライン川船上では日光浴している白人に混じってスカーフで顔を隠し日除けに余念がなかった姿は懐かしい思い出
1994年には再びリンダの家訪問

8.1995年_台湾旅行;
徹の台北駐在中計3回訪台。この年は小林さん、竹内さんと花蓮、台東温泉まで足を伸ばしました。この頃になると気持ちもフリーになり、根っからの好奇心の強さも手伝って現地の人との踊りにも参加して楽しむように。気心知れた人々との旅行は心底楽しいようでした。失敗談:台北行きに慣れた頃、あまりに気軽に行けることから外国であることすら忘れ、成田空港でパスポートを所持していないことに気づき大慌て、仕方なく帰宅して翌日一人で台北便に乗ることに。徹の手配でビジネスクラスにアップグレード、台北到着時には会社の方が飛行機まで出迎えてくれるという高待遇を受け、恥ずかしくも徹さんのお陰と大感激。久々の気分良いフライトだったようでした

9.1997年_ヨーロッパ旅行;
清香のベルギー留学が終わり帰国に合わせて小林さん、竹内さんと2回目のヨーロッパ旅行。ハンガリー、ベルギー、オランダ。ハンガリーでは清香の合唱で知り合った指揮者ズィマーニ・イシュトバン宅に泊まらせてもらい、ブダペスト観光、ゲレルト温泉にも入った(ぬる過ぎ)。ブリュッセルでは食を楽しみ、清香の撤収を待ちつつ美術館に。携帯もない時代、美術館を見た後は2時間くらい秀子の車が戻ってくるのを動かず待っていた。不安だったでしょうが、文句ひとつ言いませんでした。待たせた三人と留学中の荷物でいっぱいになった車でアムステルダムへ。なかなかスリルある旅でした



10.1998年;
当時俳画をNHK学園で習っていたこともあり、風間杜夫主演のドラマの1シーンに教室風景が映されることに。楽しい経験だったでしょう。実際の映像ではチラッくらいにしか映っていなかったけど、、、
この頃徹は、新航空会社「JALエクスプレス」設立のため大阪単身赴任中。それを利用して京都の紅葉を見に鞍馬まで。長い階段も平気で随分歩きました。大阪では「たくぎん」の看板がまだ掲げられているのを見つけ、これが最後かと一枚パチリ。北海道拓殖銀行はこの年8月に破綻したばかり。寂しいの一言


11.1999年;
自宅の書道教室の生徒である大瀬さんの別宅がオーストラリアのパースにあると聞き、草笛の仲間と書道教室の小林さんたちと訪問。豊かな暮らしをしている様子に感心、感嘆の声しきり。書道教室では書の練習のほかお茶を飲みながらのおしゃべりなどで楽しく過ごしていました



12.2000年3月_内山社中創玄展パーティ@赤坂プリンス;
札幌の松本春子先生から始まり、金子鴎亭先生、内山玲子先生、石飛博光先生など著名な先生に師事し、創玄書道会、あしかび会、あきつ会、小金井書道連盟など多くの会にも所属、友達も多かったようです

13.2001年8月_九州旅行;
久しぶりに故郷訪問。桂子叔母と落ち合って大分から湯布院、耶馬溪、宇留津、福岡へ
宇留津の実家はすでに壊され空き地となって、町の管理になっていました。近所の懐かしい人々と再会。皆等しく年を重ねている事に笑顔が溢れていました

14.2002年;
清香の運転で上高地から飛騨高山方面へ。遠距離ドライブも平気。78才




15.2003年;
1月、清香結婚
5月沖縄へ。戦争遺跡や首里城訪問で沖縄の歴史を勉強
6月佐藤家いとこ会で佐藤一雄伯父の「瓔珞磨く」の歌碑を見に札幌へ
8月には金沢・能登の旅。随分とあちこち行ったものです


札幌での従兄弟会の他の写真・動画は、以下のスライドショーをご覧ください

金沢・能登旅行の他の写真は、以下のスライドショーをご覧ください
16.2004年;
ゴールデンウィーク、清香と一緒に八戸、十和田、奥入瀬、弘前へ。弘前は父・美代吉が高等学校時代を過ごした町。弘前高等学校があった付近も通過、弘前城の桜を満喫。ソメイヨシノは終わり近かったけどしだれ桜は満開だったと記憶しています

弘前・花見の旅の他の写真については、以下のスライドショーをご覧ください
17.2005年;
毎年初詣には東京百選に選ばれた東伏見神社に。この年は母・道子も連れ立って。意外と空いているけど、昨今は参拝者で長蛇の列になります。この年6月に初曾孫の明良君誕生

18.2006年;
明良君初節句。この年母・道子は86才。母校小倉高等女学校で、一人でも多くお祝いしたいという意図で早めなのか、米寿祝いの同窓会が(現福岡県立小倉西高等学校)行われ、懐かしき友人たちと楽しい時を過ごした事でしょう



近江八幡で開催された佐藤家従兄弟会の他の写真・動画は、次のスライドショーをご覧ください
19.2007年;
佐藤家従兄弟会も年を重ねるにつれ頻繁に行われていました。皆さん親戚関係を大切にする方々で、夕食に続き部屋で近況や思い出話をすることが楽しみの従兄弟会でした。熱海での従兄弟会では池田満寿夫美術館にも行きました。
当日、続いて清香、明良くんと落ち合い、大島へ。ひ孫と旅行できるとは、なかなかない幸せな高齢者です
さらに、夏には新潟県の村上と佐渡島へ。お盆の花火に盆踊りと日本の夏を満喫。御多分に洩れず踊り出しました。無邪気で楽しそうな87才

熱海で開催された佐藤家従兄弟会の他の写真は、次のスライドショーでご覧ください

伊豆・大島旅行の他の写真は、次のスライドショーをご覧ください

佐渡・村上周遊の他の写真・動画については、次のスライドショーをご覧ください
20.2008年;
ハンガリーでお世話になったズィマーニ夫妻来日。書をやってみたいというので、小金井へ。服部家族と一緒に行ったディズニーランドでは、パレードなど拍手喝采して楽しんでいました
7月4日の88才を祝い、赤坂プリンスクラシックハウスで米寿の祝宴。孫、ひ孫に囲まれて幸せを噛み締めていたことと思います
8月には東北へ。花巻では宮沢賢治、新渡戸稲造記念館、遠野ではカッパ淵や民話の里、姥捨山を元気に登り、平泉では中尊寺、高館義経堂、ふと振り返ると衣川を見渡せる丘に続く長い階段の上にいて驚かされた思い出もあります。よく歩いてはいたけど、車の後ろの席ですぐ寝ていたので、精一杯元気に振る舞いながら歩いていたのでしょう。最後の旅行になりました



8月・東北周遊の他の写真については、次のスライドショーをご覧ください
この後9月に脳梗塞を起こし、左半身不随に。闘病生活が始まります。慈恵第三病院で1ヶ月急性期を過ごした後、三鷹の野村病院に3ヶ月入院
21.2009年;
続いて小平リハビリテーション病院へ。車椅子で外出許可出るほど回復


22.2010年;
年明け深大寺近くの特別養護老人施設「ハナミズキ」へ



4月末容体急変、5月15日逝去 90才になんかなりたくないと言っていた通り、誕生日まで2ヶ月弱を残しての他界となりました

父・美代吉の戒名:秋拓院美徳大光居士
母・道子の戒名 :浄玄院道薫清安大姉
合掌